父との想い出
父との確執と親子愛
2022年5月2日更新

前回、私が尊敬する父の話をさせていただきましたが、その父と絶縁状態だった時期があります。
その時のエピソードを今回お伝えいたします。                   

                  
父は昔から「結婚なんかしないでずっとうちにいればいい!」とずっと言っていました(笑)
父なりの愛情だったのでしょう…。私には苦労してほしくないと考えてくれていたのだと思います。
しかし、私は結婚を決断し、選んだ相手は知名度もない潰れかかっているような会社を経営している人(言い過ぎかな?(笑))。
もちろん、父からは猛反発を受けましたが、私は決意を変えませんでした。初めて父にした反抗だったかもしれません。

「勝手にしろ!もう知らん!お前とは絶縁だ!」

と父とは絶縁状態に…。
父は意志が強く言ったことは変えない人。
そのため、

「もう父とは二度と会えない」
「これからは自分の生き方を自分で決めていく」

この二つの覚悟を持って実家を離れた記憶があります。

私が結婚して東京へ行き、ほどなくして父は引退しました。
その父と入れ替わるように私が社会人デビューすることになります。
旦那さんのエピソードでもお伝えしましたが、倒産目前という壮絶な社会デビューでした。
何とか乗り越えてこられたのは、ずっと父の姿を見てきて「仕事とはこういうものだ」という指針が私の中にあったからだと思います。

どんな状況でも変わらず、頭の切れる父。
人前に出たときの偉大で自信に満ちた姿。
人を率いるカリスマ性を間近で見てきたことで、自然と仕事とはそういうものだと思い、真似ていたのかもしれません。
でも、女の私が働くことについて否定的だった父(そういう時代でした)。
父の意に反し、自身の背中を追いかけている娘を知ったら、父はどんな反応をしたのでしょうか。

母には近況を伝えていたので、私の話を時々父にしてくれていましたが、「もうあんな奴は知らん」と話を聞いてくれなかったそうです。覚悟して家を出てきた身ですから、母からそう聞いても「当然のこと。父はもう守ってくれない。だから私が家族を守るしかない。」とさらにがむしゃらに働きました。

ほどなくして、無理が祟ったのでしょう。

私は仕事中に倒れ病院へ救急搬送されることに…。

それでも全国各地で待っている代理店さんのために休んでいられなかった私は、「きっと一時的なものだから、回復し次第すぐに仕事に戻ろう」と楽観的に考えていました。
しかし、一ヶ月近く入院することとなり、「家族を守らなければ…、息子を守らなければならないのに私は何をやっているのだろう…。」と失意のどん底に落ちていきました。

そんな私を尻目に、ある時を境に激変していく病院側の対応。
病室も移動、対応も今までと変わり、呼び方まで「香里さん」から「お嬢様」と呼ばれるではありませんか…。

後でわかったことですが、実は父が母から娘の容態が悪いと聞いて病室からすべて手配をしてくれていたのです。その上、「自分のことはいいから香里の代わりに家事をしてやってくれ」と孫のために母を東京の家に送り出してくれたのです。

                  

「もう知らん!」と絶縁していた父が私のためにここまでしてくれたことを後から聞いて本当に涙が止まりませんでした。
「この父の娘で本当に良かった…。」つくづくそう思いました。

                  

無事体調も良くなり、なんとか生還出来た私はいの一番に父へ連絡し感謝の言葉を伝え、そして謝罪をしました。
父からも「良かったな」という労いの言葉をかけてもらい、「お前のことはわかっとる」とまた受け入れてもらえ、止まっていた父との時間がそこからまた動き出しました。

父にお返ししたいと、よく東京に呼んでは美味しいところに食事に行ったり、関東圏の温泉に行ったりと親孝行をすることが出来ました。二度と交われないと思っていた父と過ごす時間は本当に幸せでした。今までの空白を埋めるかのように一刻一刻を大事にした覚えがあります。

                  

父と母の会話で印象に残っている出来事があります。
私がテレビ通販に出始めて少ししてからでしょうか。母がテレビの中で流暢に話している私を見て「はしたない!こんな子に育てた覚えはないわ!」と強く非難したそうです。
その時、父は                    

「いや、こいつは俺の子だ。」

と自信満々に感慨に更けた表情でそう言ってくれたのだとか…。
なんだかホッコリしました。
そして、金スマに私が出演した直後、父から電話があり、

「良かったよ!」

と初めて私の仕事を認めてくれたのです。
嬉しくて涙が止まりませんでした。

                  

物心ついてから父を尊敬しなかった瞬間は一度たりともありません。
怒られたときも、絶縁したときも、どれだけ心が離れていても偉大な人だという思いは変わりませんでした。
それほどまでに私の中では完璧で絶対的な存在でした。

                  

亡くなって20年が経とうとしています。
いつまでも私の中で風化することなく、強烈に存在し続ける父。
いただいた多くのものを頼りに、これからも私の人生を全うしていきたい思います。

「本当にありがとうございました。」

中島香里

                   

【追伸】
また、父とのエピソードを思い出しましたら、父のシリーズは更新したいと思います。お楽しみに!😊     

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