前回は父の話をさせていただきましたが、私に躾や教養を与えてくれたのは間違いなく母ですから、今回は母のお話をさせていただけたらと思います。
父がいるときは父を支え、父が留守のときは家を守る、縁の下の力持ちが母でした。
私と弟には非常に厳しくThe教育ママという感じの人。
同じ同性の私には、立ち振る舞いで徹底的に厳しくされたように思います。
そのため、教育の一環で様々な習い事を母から勧められてやってきました。
日本舞踊はいまだに師範代の資格を持っており、当時は本当に厳しくて嫌でしたが、
今になって思うと母のおかげで身になったことがたくさんあります。
資格は持ってはいるけど、じゃあ今もしっかり教えることができるかといわれるとちょっと怪しいです…(笑)
よくお客様からテレビで作法がキレイだと言っていただけますし、声もお腹から出しているので「どこで習ったの?」と聞かれますが、この時の習い事が生きているのだと思います。
そんな厳しい母でしたが、大学生になりファッションを楽しんでいた私に声をかけてきました。
私にはものすごいパワーフレーズでした。
「え…?」と固まる私に、
「今から出かける用意をしなさい。買い物に行くから。」
とその足で都心のデパートへ…。(デパート全盛期)
あちらこちらのブランドショップに連れられて、気が付いたら全身すっかりコーデネイトされて、何着も服を買ってもらっていました。
良い服は身にまとっているだけで様々な影響を与えてくれます。
良いものを身に着けているという自覚が自分の行動を律し、そして自分の気持ちをポジティブにしてくれます。
本当に良い物の本質を教えてもらったのだと思います。
昔からオシャレだった母は、勉学だけではなくファッションも教えてくれて、何より身だしなみを整えることの大切さを説いてくれたのでした。
その時の学びからでしょうね。今でも勝負服か、ラフな服装か、エレガントな服かなど、気分や状況によって選択しています。
自分のファッションのこだわりだけでもだいぶ話すことが出来そうです(笑)
本当に旅行好きな母でした。父は家を留守にすることが多く、一人寂しい母の気分転換の方法だったのかもしれません。
私と二人でよく旅行にいきました(もしかしたら名古屋という土地柄もあったかもしれません。母、娘いつも一緒)。
日本の名所旧跡を回りましたし、母は英語がペラペラだったので海外にもよく行きました。
母はミーハーな旅行好きというのではなく、その国の風土、風習を知ることが好きだったようで、
いろいろな世界各地の情景が映る小さな映写機なんかも持っていて、気が付くとよくそれを見て楽しんでいたことを思い出します。
私もその国々での文化やその当時の状況を感じ、自身の価値観や世界観が拡がったと思います。今思い出しながら書いていると本当にいろんな事を経験させてくださったんだ!とちょっと目頭が熱くなってきました。
ほどなくして私が結婚して東京へ上京した後、 初めて私たちの自宅に招いた時に母はとてつもなく大きな奇声を上げました。
母にしたらお金をかけて大切に育ててきた大切な娘がボロアパートに住んでいたことに驚いたそうで、旦那さんが「だらしない!」ととても怒っていました。
その上、働いている私を見て、母の理想とは違う道を進んでいることに大きなショックを受けていたのだと思います。
毎回来る度に思い出したかのように怒るわけです(笑)これには私も旦那さんも苦笑いするしかありませんでした。
それでも探索好きな母は孫の面倒に託けてよく東京に来ては、孫(私の息子)と一緒に様々な場所を回って楽しんでいました。
あれだけ厳しかった母ですが、孫には本当に同じ人なのかと疑ってしまうほどあまく、そんな母を孫も大好きでした。
2人には沢山の面白エピソードがあるので機会があればまたお伝えしたいと思います。
何はともあれ、母が孫の面倒を見てくれたことで、私は全国津々浦々を回って会社の立て直しをすることが出来たのですから、母には心から感謝しています。
亡くなってから15年程になります。
誰よりも私に厳しい母でしたが、私に持っているすべての知識や経験を与えてくれたのですから、感謝してもしつくせません。
沢山のことを教えていただき、道を切り開くためのバックアップもしていただいて今の私があります。
感謝しながら、これからも変わらず万進していきたいと思います。ずっと見守っていてくださいね。
中島香里
OFFICIAL SITE
商品のご購入やご質問ご相談等、以下外部リンクより承っております。
お気軽にご利用ください。