1代目ピッキー (完結編)
一番年上のラブラドール
2022年10月31日更新

更新にだいぶお時間をいただいてしまいました。大変申し訳ございませんでした。
ピッキー完結編をお送りいたします。

2匹の弟たちを率いて散歩をしてくれる本当に頭の良い初代ピッキー。
私たちをいつも支えてくれて家族は幸せでした。
私たちは彼をとても愛していましたし、近所の皆様からも愛されていました。
彼の存在があって当たり前で、いつまでも元気で人気者のピッキーでいてくれるものだと思い込んでいましたが、現実は残酷でした。

「もう歳なんですよ…。」

ずっと元気だったピッキーですが、12歳を過ぎると
様々な不調が出てきます。急に動けなくなることがあり、
大好きな散歩に行けないこともしばしば…。

「足に不調があるのかな?」という推測しかできなかったため、
怪我、もしくは骨が折れている前提でお医者さんに診てもらうと
「怪我や骨折等の影響でではありません。
 強いて言うなら歳でしょうね。
 もう12歳を過ぎているのでしょうがないですよ。」
と言われました。

考えてみれば、生まれて間もなく大病を患いましたから、その反動もあったのかもしれません。
最初は、病院で点滴を打ってもらったり、家でプラセンタを飲ませたり、栄養をとらせてだいぶ回復していたのですが、年を重ねる度に症状はだんだん悪くなっていき、最終的には立ち上がることもできなくなってしまいました。

動けないわけですから散歩にも行けず、トイレはその場ですることになります。
なんとか早くお手入れをしてあげたいのですが、毎回傍にいられるわけではないので、用を足した後ずっとその上にいたこともよくありました。
そんな状況も可哀そうでしたが、なにより頭のいい彼の不本意であろう姿、申し訳なさそうな表情を見る度にピッキーのなんとも言えない悲痛な気持ちを感じ取ってしまい、自然と涙が溢れてしました。

定期的に病院へ診察にいっていましたが、お医者さんから「ずっと一緒にいてあげられない以上、逆にピッキーが可哀そうです。」と言われ、ケア施設に預けることを勧められました。
その日の夜、我が家で家族会議を開き、「ピッキーを預けるか、否か」の話し合いを行いました。
ずっと一緒にいたわけですから離れ離れになる現実を拒絶する気持ちがないわけではありません。
しかし、家族の誰からも反対の意見は出ませんでした。
全員がピッキーの発する申し訳なさそうな辛い気持ちを強く感じ取っていたのです。
そして、その日の会議でピッキーを施設に預ける事が決定しました。

                  

離れ離れになることは受け入れましたが、ピッキーにはずっと幸せにいて欲しいという想いは強く、少しでも良い環境で過ごさせてあげたいと妥協を一切せずに施設探しをしました。一回インターネットで見つけて入所を決めていたところもあるのですが、他のワンちゃんへの扱い方を見て、預ける事を辞めて連れ帰ったこともあります(笑)
最終的には本当に素晴らしい施設さんを見つけることが出来て、大切に愛情を持って面倒を見ていただきました。
実際にどんなことをしてもらっていたのかはわかりませんが、時々会いにいくピッキーの姿を見て、
「幸せなのか」
「満足しているのか」
「皆さんから愛情を持って接してもらっているのか」
をうかがい知る事が出来ました。ずっと一緒にいた家族だったからわかるのでしょうね。
彼の姿を見るだけで現在の彼の施設生活が垣間見える、そんな感覚でした。
本当にここの施設の皆さんにお願いして良かったと安堵しました。

                  

それからは少なくとも1ヵ月に1回は家族の誰かが休みの日に見に行ったり、3か月に1回戻ってくるルールもありましたから、回数は減っても接する機会を絶やさないようにしていました。
食欲は相変わらず健在でしたから、戻ってきたら毎回大ご馳走を振舞って上げました。
よだれをダラダラ垂らして大喜びのピッキー。
身体は動かないのにぺろりと平らげる姿は若い頃そのままで、そんな元気なピッキーの姿を見て家族一同喜んだ光景を今でも鮮明に憶えています。
久々に会ってもいつもと変わらない姿勢で接してくれる彼に私たちがどれだけ救われたかわかりません。
ピッキーは施設生活になっても、眩しく光り輝くように生を全うしていました。

そんなことが1年ちょっと続いていた頃でしょうか。
施設の方から「最近は体調が著しく悪い。そろそろ寿命が近いと思います。」と連絡がありました。

「最期は我が家で…」

少しずつ症状が悪化している事は定期的に会ったり、
聞いていたので認識していました。
ですから、心の準備は出来ていたのだと思います。
「最期」という言葉を聞いてもパニックにはならず、
冷静に受け止め、「最期は我が家で…」と
少しでも彼と同じ時間を過ごそうと施設から戻してもらいました。

 

ピッキーが戻ってきてからは極力傍にいられるときは誰かが付き添っていました。
亡くなる前の日にはステーキを美味しそうに1枚食べ、次の日からはお水すら飲まなくなり、
その日の夜に、仕事帰りの息子に看取られて亡くなりました。
最期は一瞬苦しそうに歯を噛みしめた後、穏やかな表情で亡くなったそうです。

人知れず、一人で亡くなってしまったらとそれまでは居ても立っても居られませんでしたから、ピッキーが最期に息子の手の中で亡くなったことが本当に救いでした。

そんなピッキーを看取った息子が、不思議な事を言っていました。

亡くなる数週間前に、ピッキーの体調が悪くなり、今回と同じようにピッキーを連れ戻したことがあるのですが、その時はなんとか大事に至らず施設に再び預けることになりました。

施設に預ける際に息子はピッキーへ

「向こうに行っても死ぬんじゃないぞ。必ず俺のところに戻ってこい。お前を見届けるのは俺だからな。」

と心の中で伝えたと言います。
声にも出しておらず、ピッキーに届いているかもわからない(変な話)ので「へぇ~」とその時は生返事をしましたが、本当にピッキーは生き続けてまた我が家に戻ってきました。
そして、息子が仕事を終えて帰ってくると待っていたかのようにピッキーは息子に抱きかかえられて亡くなったのです。奇しくも息子の言っていた通りになりました。
(息子が帰ってくる時間は1日15分もないので一緒にいられる時間はほとんどありません。)

心がつながっているということなのでしょうか?
息子が一方的に伝えた勝手な約束をピッキーが最期に果たして空に旅立ったかと思うとまた一つピッキーの尊さを感じてしまうエピソードです。

本当にいろいろな幸せと喜びを与えてくれた1代目ピッキーには感謝しかありません。
今でも涙が出てきます。本当にお利口で心優しいかっこいいお兄さんでした。
本当にありがとう。

今でも見守ってくれていると感じますし、今の2代目ピッキーの中で生きていると勝手に信じています。
また別の話になってしまいますが、二人のピッキーには類似している点が多すぎて同一人物なんじゃないかと思う事もしばしば…(笑)

また、2代目ピッキーを通して元気なピッキーの姿をお届けできればと思います。
これからも我が家のワンちゃんたちをよろしくお願い致します。

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